アニメ業界について考えてみる:#9 広告としてのアニメかエンタメとしてのアニメか

最近、アニメについての思考を巡らせているのだけれど、

僕自身がどういうスタンスで形にしていけば良いか?

がはっきりと言語化されていない。

 

そういう点で、今一度、

現時点でのスタンス、というか、

僕自身の進みたい方向を言葉にしておこう。

まず、アニメには2つの側面がある。

広告としての側面、

もう一つはエンタメとしての側面だ。

前者はアニメ業界で作られているTVアニメなどがあげられるし、

最近たまに見かけるWEB動画などがそうだ。ゲームの予告編でもいい。

後者は劇場版、というものがわかりやすいかもしれない。

あるいは、自主制作で作られるアニメだ。

どちらがやりたいか?

といえば、後者だ。

単純に好きなものを作りたい、という意味にもなる。

もちろん、映画というと、商業ラインに乗せることを考えるなら、

好きなものを作るというよりは、マーケティングがきちんとできないとダメだと思うし、

その時代に求められているものを作る、

というニュアンスの方が強いので、語弊があると思うのだけれど、

以前表現した、遊園地の入園料としてのスタンスと考えるなら、広告とは異なる。


この辺りは、どこまで広告として考えるか?

にもよるから、抽象度の決め方で映画すらも広告である、

と言えてしまうから、言葉とは大変むずかしいと思うのだけれど、

現時点で言語化できる範囲で言えば、僕の中では悪くないカテゴライズと思う。

話を戻そう。

広告か、エンタメか(これが並列の言葉として適切かどうかはすごく怪しいが)は

デザイナーかアーティストか、の違いに思える。

要するにどっちのスタンスか?

といえば、後者なのかもしれない。

アーティストというと、言葉が強すぎる。
(ここも細かく言葉を選ばないといけないように思える)

ただ、純粋に自主制作を続けたい。

単純に作るだけなら、現時点でもできるし、今でも関わりはある。

が、それをもっと短期間で回していこうと思うなら、結局、どこかでキャッシュが必要になる。

なぜなら、人が多く絡むなら、工数として発生するからだ。

工数として発生するなら、対価としてお金が発生する。


問題はそのキャッシュをどうするか?

多くの自主制作は空いた時間に趣味で作るから

同意のもとでお金を発生させないことの方が多い。

これは決して悪いことではない。

ただ、僕もフリーランスだからよく思うけど、

お金が発生しないというのはお互い楽しんでるからよい、

という好意の範囲であるし、お金は発生したらそれはそれで嬉しいはずだ。 

 

僕ももらえないよりはもらえる方がいい。

でも、お金を軸にはしていない。

作りたいから作る、というものだ。


僕がずっとやりたいと考えていたのはむしろ
そういう、

自主制作で、でもお金は対価としてきちんと発生する

という流れであって、広告がつくりたいわけではない。


もちろん、広告は絶対に嫌、という訳ではなく、

副産物的にそういう流れや話がくるなら嬉しいとは思う。


でも、それはメインには来ない。

アニメはわかりやすいし、情緒的だ。

だから、広告として作らなくても、広告としての役割を果たすことはある。

広告というよりは、広報なのかもしれない。

不確定要素が強いなら、そういうスタンスの方が自然ではなかろうか。


エンタメ要素が増えれば、微分要素で見ることになるから、博打要素は増える。

かといって、広告としての積分を狙うなら、リミテッドアニメほどの技術力は

過剰に思える瞬間もややある。

 

時には適切な表現ではないこともあるだろう。

この辺りは何が主軸か?で変わってきそう。

 


仮に、広告じゃないとしたら、

アニメ制作をするために、どこからキャッシュを生むのか。

そういう視点で、

今のアニメ業界のスタンスとか動き方とか

動画広告の流れを見ると、また発想は変わりそう。